これまで生きてきた中でいろんな経験を通して
たくさん我慢もして、絶対見返してやる。
と肩肘張って生きていたこともある。
大抵のモノゴトは自分の頑張りでクリアできるものだと思ってきた。
でもね、ある時全てが崩れた。
生きることすら嫌になった。
未来への希望はなかった。
誰にも会いたくないし、正直消えたかったです。
やりたいことはない。
生きる意味もない。
なんで生きてるかも分からない。
心配の連絡がたくさんきた。
一緒に泣いてくれる友達もいた。
でもね、いつだってわたしはこの世の中の疎外感と寂しさでいっぱいで
結局誰もわたしのことなんて一番大切なわけではなくて
一番大切にしてくれる人を求めました。
ヨガをしてたのにね。
言っている意味が全く分からなかった。
でもね、この経験からね
自分が誰よりも近いパートナーであることを知りました。
周りに多くを求めていた自分に気づきました。
外に幸せがあることを勘違いしていた自分に気づきました。
生まれた時から死ぬ時までずっと一緒なのはこの身体とココロ。
この身体とココロを自ら痛めつけて傷つけちゃいけないんだと知りました。
へらへら笑ってるけど
へらへらの裏は完全に闇です
そして闇の中に唯一残されていたのは
ヨガの教えという光でした。
あの時のわたしは無知でした。
本当の意味で何も知らなくて
稼げることが素晴らしくて
大手企業という看板を背負って
それなりに小綺麗にしていたらモテて
それなりに仕事ができたら上司は褒めてくれる
それなりに気遣いができればお客さまは好いてくれて
それなりに物事がこなせればこの世界はうまく回せると思ってた。
でもね、”それなりに”生きる日々はわたしにとって我慢の連続で
”それなりに”はどんどん自分を表現することを抑えつけていた。
そこからかな。我慢して頑張るんじゃなくて
自分にもう少し素直に生きることを決めたのは。
自分らしく生きたい
と泣いていたわたしは
幸せになりたい
が口癖だったわたしは
完全に泣くことも口癖もなくなりました。
わたしは今のままでいい
いい今の繰り返しがいい未来に繋がる。
だからこそこの瞬間を大切に積み上げて生きていく。
という思考に変わりました。
これは全部ヨガのおかげです。
どうやら前世でもヨガの修行僧だったらしいわたしは(本当か知らんけど)、辛い経験を通して完全にいろんなことを思い出したみたい。
ヨガの哲学と瞑想。
この2つを伝えることは数年前実は考えてもいなくて、
でもなぜか今毎週のように伝える環境がある。世の中というのは不思議なものです。
12月、1月とまたそれぞれを伝えられる場を用意しました。これはわたしが経験してきたからこそ伝えられること。
今関わる多くの人がどんどん笑顔になる現状に直面しながらどうやら、この教えはやっぱり本物で下手にいろんなものに手を出すくらいなら一度触れてみてほしい。
そんなことを感じています。
(諸々詳細は画像をTAP)
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