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  • risayoga2006

生と死について考える

こんにちは。りさです。


わたしは20歳の誕生日の日から何故か突然誕生日に神社に行く習慣がつきました。

どうしても無理な時は誕生日に一番近い場所で手を合わせに行きます。



なぜ行くようになったのか?



考えてみたのだけれど、おそらくその大きなきっかけは幼馴染の死。

だったなと。



一番初めに亡くした友人が幼馴染だったんです。

とはいってもめちゃくちゃ仲がいいかっていうと異性だったし、昔からの顔なじみ。って感じ。 思春期でもあったしそんなに中学時代も話した覚えもないし(クラスも違ったし)いかんせんやんちゃ君だったのと、わたしも小学生の時親の転勤でずっと彼と一緒なわけでもなかったのですが、幼稚園の時の写真にはだいたい写っているwwそんな人でした。



高校生の夏休み。

高校で夏期の授業の休み時間に幼馴染(こっちはいまでも本当に仲良しで大好き♡)から「Yが死んだ。また連絡する。」とだけ連絡が入っていて気が動転したことと、その後の授業が何も頭に入らなかったことだけは覚えています。




でね、お葬式に行った時に3つのことに気づいたの。


①めちゃくちゃ仲がいいわけでなくても人が亡くなるということはこんなに色んな人を泣かせるのか。ということ。

②残された人の使命はその人のことを覚えていてあげること。そしてその人の分まで命を活かし幸せに生きなければならないこと。

③この世の中には悪いことをするとバチが当たることがあるかもしれないということ




だからかな。

20歳になった時、ひとまず成人まで育ったことに感謝したくなってね。

突然熱田神宮に一人で行ったことを覚えています。

それまで一人で神社なんか行ったことなかったのにww



ただ、ここまで生きました。ありがとうございます。って。

伝えに行ったの。



生きている人ができることは

なくなった人の分までこの人生を生きること。

そしてその人の生きた証を覚えておいてあげること。



これを強く感じたのは実は他のきっかけもあって。

わたしの家系がちょっとおかしいんですww



私の祖父母は唯一母方の祖母だけご存命(めちゃくちゃ仲良しな祖母♡)なのですが

私の父方の祖父は 私の父方の祖母の誕生日に亡くなってて

私の父方の祖母は 私の妹の誕生日に亡くなってて

私の母方の祖父は 私の父の誕生日に亡くなってて


・・・・



毎年私は自分の誕生日に私と私の周りの人が笑顔で幸せに生きられることを願ってならないのです。お願いだ。誰も亡くならないでくれ・・・と(笑)



でもね、なんだかこれってメッセージなんだろうな。と。



「忘れないで・・・」



って言う。




ちなみにわたしの母方の祖父は妻である祖母、長女である母、初孫であるわたしの3人が揃ったタイミングで亡くなりました。

いろいろ不思議だ。しかもほとんど意識なかったのになぁ〜〜。




生とはこの物質界への入り口で

死とは精神界への入り口にたった日。




この世界で生きる私達にできることは

生きた人の生きた証を覚えておくこと。

そして自分の命を存分に全うすること。




今日も自分を精一杯生きよう!!

生きたかったあの人達の分まで✨

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